父の日は、6月の第三日曜日です。父の日は、母の日が制定されてから生まれました。なぜか冷遇される父ですが、父がいたからこその私たちです。母の日同様に父の日には、改めてお父さんに感謝しましょう。
父の日は、母の日と同じく、アメリカではじまったとされる説が有力となっています。父の日は、アメリカ人のドット婦人の呼びかけで始まったとされています。ドット婦人は、母の日が定められたことを知ると「母の日にならって、父の日を作りましょう。」と広く呼び掛けました。1910年のことでした。このドット婦人は、6人兄弟の末っ子として育ったのですが、早くにお母さんを亡くし、父親の手で育てられたのです。このドット婦人の「父の日をつくろう」という呼びかけけに、1916年当時のアメリカ第28代大統領ウッドロウ・ウィルソンが認知したのがきっかけとなり父の日はスタートしました。「父の日」は、「母の日」の制定なくしてはありえなかったのです。その後、アメリカ大30代大統領ジョン・カルビン・クーリッジが「父の日」の意義を提唱し、1926年にはナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、1972年に6月の第三日曜日を「父の日」として国民の休日となったのです。そうです、アメリカでは、『父の日』を「父親を尊敬し、称え祝う日」として国民の休日としているのです。
父の日は、日本でもアメリカの風習を習って、6月の第三日曜日となっています。しかし、日本の父の日は、国民の休日ではありません。母の日には、カーネーションの花を贈るように、父の日にはばらを贈るのが正当ななり方のようです。アメリカの父の日を提唱したドット婦人が、父親の好きだったバラを選んで、白いバラを父の墓前に手向けたということに因んで父の日にはバラの花を贈るようです。父の日のバラの色は、母の日のカーネーションと同じく、父が健在ならば赤いバラを、他界されていれば白いバラを贈るということです。日本で父の日は、母の日の公式な制定が1947年でしたのでずっと最近になってから世間に広まりました。1981年になってようやく社団法人日本メンズファッション協会を核にした『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』が誕生し、日本でも父の日が国民的な行事となりました。その『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』が、「父の日黄色いリボンキャンペーン」や「ベスト・ファーザー発表・授賞式」などの活動を通して、“黄色”を提唱していることもあり黄色いバラが一般的となっています。
日本での父の日に贈られることが多い黄色のバラですが、なぜ黄色なのでしょうか?日本では、黄色といえば父の日というよりも 高倉健と武田鉄也、倍賞千恵子らの映画「幸せの黄色いハンカチ」を連想する方も多いのではないでしょうか。この「幸せの黄色いハンカチ」は、アメリカの「黄色いリボン」とどういう関係があるのでしょうか。そもそもイギリスでは、“黄色”は身を守るための色とされていたそうです。その“黄色”がアメリカに渡来して「黄色いリボン」となり、「愛する人の無事を願うもの」という意味をもつようになったのだそうです。日本では父の日に、愛する父の健康、無事を願う意味から黄色いバラが採用されているのでしょう。また、父の日のプレゼントに黄色いリボンを結ぶのもこうした意味合いがあるのだそうです。風水的にも“黄色”は、裕福の象徴であり、まさに、幸福や希望の色というわけです。父の日に黄色にまつわるプレゼントをお父さんに贈るのは、頼りになる父親への尊敬と信頼を込めた愛情表現というところです。黄色いバラの花言葉は、美、可憐、嫉妬なのだそうですが、「でもそんなの関係ねぇ!」父の日には、黄色いバラです。
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